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名古屋地方裁判所 昭和48年(人)2号 判決 1973年10月27日

請求者

甲野花子

右代理人

佐藤典子

拘束者

乙野太郎

右代理人

林武雄

被拘束者

甲野春子

右国選代理人

中田寿彦

主文

被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

本件手続費用は拘束者の負担とする。

事実

別紙のとおり。

理由

一請求者と拘束者とは、昭和四五年七月ころ請求者が経営していたバーに客として拘束者が出入りするようになつて知り合い、翌昭和四六年四月ころから請求者の居住していたアパートにおいて同棲するに至り、婚姻の届出を出すことなく内縁関係のまま、翌昭和四七年一一月一四日被拘束者が出生し非適出子として母親である請求者の戸籍に入籍したこと、そして昭和四八年九月末ころ請求者の喫茶店開設の計画が挫折し、請求者・拘束者間にその借財の返済をめぐつてトラブルが生じたこと、同月二五日ころ右トラブルおよび請求者・拘束者間の別れ話について請求者の実兄甲野次郎を含め協議されたこと、および同年一〇月一三日拘束者が被拘束者を請求者のもとから連れ戻し、被拘束者は現在その監護のもとにあることはいずれも当事者間に争いがない。

二<証拠>によると次の事実が認められる。

(一)  請求者と拘束者の同棲生活はその当初拘束者において請求者の男性関係を嫉妬してその手首を押えて暴行をはたらくなどの行為がしばしばあつたけれども、昭和四八年八月末ころまでは一応傍目には平穏な状態であつたこと。

(二)  ところが、同年九月下旬ころ、請求者が当時経営していた名古屋市○区○町○丁目のバー「K」を他に売却し、その売却代金と拘束者からの借金三〇〇万円および請求者が他から借りるなどした金二〇〇万円を合計して同町三丁目に二階建建物を借りたうえ、その階下部分を改造して喫茶店を経営すべく請求者においてその計画ならびに実行に取りかかつたところ、バー「K」の売却が予定通り運ばず、結局喫茶店への改造費用金三二〇万円を消費したうえ、右計画は中途挫折するに至り、拘束者への右借金三〇〇万円の返済と請求者がその出資した右金二〇〇万円のうち金一五〇万円はアパートの家主Sの妻から請求者が借り受けたものであることを拘束者に対し秘密にしていたことなどから、請求者・拘束者間に溝が生じ(この点は当事者間に争いがない)、請求者は前記(一)記載の事情もあつて拘束者と別れる決心をするに至つたこと。

(三)  そして請求者は同月二五日兵庫県○市から実兄甲野次郎を呼び寄せ、右同日右次郎と請求者・拘束者・前記S夫妻、右喫茶店の工事を請負つたインテリアモリことMとで、喫茶店の資金問題を含め、請求者・拘束者間の別れ話を協調した(この点は当事者間に争いがない)けれども、一方請求者はひたすら拘束者と別れることを望み、他方拘束者は別れたくないがどうしても別れるというのであれば前記金三〇〇万円の返済と被拘束者を自分に引き渡すことを要求して容易にまとまらず、右協議は翌同月二六日も続けられたが結局前日同様なんらの進展もみられなかつたこと。

(四)  ところで同月二五日、拘束者は右協議がいずれとも決まらない状態にありながら、被拘束者を引き取るべくにわかに被拘束者を認知する旨の届出をなしたこと。

(五)  そして同月二七日ころ請求者の姉Yなどの説得もあつて、請求者と拘束者とに再び復縁する話が持ちあがり、同人らは引き続き同棲をしていたが、結局同年一〇月一日右喫茶店の改造費の問題が再燃し、拘束者の妹婿Tが中に入り請求者に対し威圧的な言動をとつたことも手伝つて、請求者の拘束者に対する不信感・嫌悪感は動かし難いものとなり、右同日拘束者は被拘束者を連れて近くの実母方へ帰り別居するに至つたこと。

(六)  そして同年一〇月四日拘束者がその荷物を引きあげるため同棲先に赴いた際、請求者からの要請と拘束者になお請求者との復縁を望む気持があつたことから、拘束者は数日後請求者と会うことを約して被拘束者を引渡し、同月七日にはMを伴つて復縁を強く迫つたところ、請求者が一週間の猶予を求めたので同月一三日に再び会うことを約したけれども、請求者は右約束に背き同月一二日兵庫県○市の姉婿N方に被拘束者を伴つて身を寄せたこと。

(七)  請求者が兵庫県○市に帰つたことを知つた拘束者は、同月一三日右N方に赴き、約束違背を追及し被拘束者に会わせてくれるよう要求したところ、請求者および右Nから喫茶店で話し合おうと言われたことから、請求者らが被拘束者に会わせてくれないと考え、急拠二階にあがり被拘束者を抱いていた右Nの娘(高校三年生)から被拘束者を奪い取り、以来現在まで拘束者肩書地において被拘束者を養育監護していること(この点は当事者間に争いがない)。以上の各認定に反する請求者本人の審尋の結果(その一部)および拘束者本人の尋問ならびに審尋の結果(いずれもその各一部)はいずれにもにわかに措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三人身保護法は、現に不当に奪われている人身の自由を迅速かつ容易に回復せしめることを目的とし(同法第一条)、右目的のためおよそ違法に身体の自由を拘束されている者はその救済を請求することができると定め(同法第二条)、これを受けて人身保護規則第四条は、右請求は拘束が権限なしになされていることが顕著な場合にこれをすることができると定めている。右によれば人身保護請求は、拘束の存在とその拘束が違法になされていることが顕著な場合に認められるものと解される。

そこでまず拘束の有無について判断する。ところで、被拘束者が現在拘束者の肩書住所地においてその養育監護を受けていることおよび同人が昭和四七年一一月一四日に出生した現在満一一ケ月の幼児であることはいずれも当事者間に争いがなく、被拘束者の年令からして同人が現在意思能力を有しない者であることは明らかである。そして意思能力を有しない幼児を監護することは当然にその幼児に対する身体の自由を制限する行為が伴うものであるから、その監護自体を前記法条にいう拘束と解することができ、結局拘束者は現在被拘束者を拘束しているものと解するのが相当である。

次に、右拘束が顕著な違法性を有しているかにつき判断する。請求者・拘束者は昭和四六年四月ころから同四八年九月末日ころまでの約二年六ケ月にわたつて同棲を継続し、その間婚姻の届出をすることなくいわゆる内縁関係のまま終始したものであることおよびその結果被拘束者も非嫡出子として母親である請求者の戸籍に入籍していること、他方拘束者も昭和四八年九月二五日をもつて被拘束者を認知する旨の届出をなしたことは前判示のとおりである。そして右事実を法に照らすと、拘束者は被拘束者を認知したとはいえ監護権者としての指定を受けた旨の疎明がなんら存在しない本件においては、非嫡出子(婚外子)である被拘束者は請求者の単独の親権に服し、監護権も右親権の内容として請求者に帰属するものと解される(民法第八一九条四項、同第八二〇条、同第七八八条参照)。従つて被拘束者に対する法律上の監護権者は親権者たる請求者にあり、拘束者は親権者でないことはもちろん、監護権者でもないというほかはない。

ところで、法律上監護権を有しない者が幼児をその監護のもとにおいてこれを拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいてその引渡を請求するときは、当該被拘束者(幼児)の幸福にいずれが適するか否かの観点から、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察したうえ、幼児の幸福のため監護権者の監護のもとにおくことを著しく不当とする事情が認められないかぎり、たとえ非監護権者の拘束が幼児の実親としてこれをなし、しかもその監護状況が一応妥当なものと認められる場合であつても、なお右拘束は権限のない違法性の顕著なものと認めて監護権者の請求を認容すべきものと解するのが相当である。

そこで更にすすんで請求者と拘束者の監護状態の実質的な当否につき検討し、監護権者たる請求者の監護のもとにおくことを著しく不当とする事情があるか否かにつき判断する。<証拠>によると次の事実が認められる。

(一)  請求者は満三八才の高年で初めて被拘束者を出産して以来、拘束者に奪われた昭和四八年一〇月一三日まで、同月一日から四日までの数日間を除き約一一ケ月もの間被拘束者の養育監護を続け、その間バー「K」の経営も他人にまかせその養育監護に専念して来たこと。

(二)  請求者は現在その肩書住所地において姉婿N方に身を寄せてはいるが、右住所地付近には請求者の兄甲野次郎が居住しているほか、弟甲野三郎も居住しており、右兄弟らは請求者親子を心配して、右三郎は夫婦共稼ぎであるところから同人方二階に居住してその子供の面倒を見てくれてもよいし、また右Nは市場で金物屋をやつているところからそこで手伝つてくれてもよいとそれぞれに援助の手をさしのべており、請求者が被拘束者を養育監護することに協力的であること。

(三)  拘束者は被拘束者を認知しており、被拘束者の実父として同人のために拘束者から相当程度の養育費用の支弁が期待し得ないではないこと。以上の各事実が認められ、右認定に反する拘束者本人尋問の結果はにわかには措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、請求者が被拘束者を引き取り、同人を養育監護するについて、必ずしも万全の態勢にあるということはできないとしても、その監護を著しく不当とする特別事情があるとは解せられない。なるほど請求者は前示のとおり従前バーを経営し、いわゆる水商売の世界に生きて来た女性であり、拘束者は請求者の過去の生活歴からみて被拘束者の幸福にとつて同人の監護のもとにおくことは好ましくない旨主張するが、請求者にとつて被拘束者は前示(一)認定のとおり満三八才の高年になつて初めて恵まれた子供であつて出産後も被拘束者の養育監護に専念して来た事実に徴すると、請求者の右経歴もその監護を著しく不当とする特別事情とは認められず結局右判断を覆えすことはできないと解される。かえつて<証拠>によれば、拘束者には先妻との間に三人の子供があり、先妻と別れた後右三人の子供を引き取り二人は両親に預け、一番末の子供は肩書住所地において起居をともにしていること、拘束者は昭和四八年九月中旬ころ請求者と別れる話が出た際被拘束者を施設に入れようと区役所に相談に行つたことがあること、そして同年一〇月一日から四日まで被拘束者を監護していた間及び同月一四日以降、拘束者は被拘束者を委せる適当な人手がないため度々被拘束者を車に乗せて自分の監督する建設現場に連れて行つていることがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。以上の事実によれば、他方拘束者が被拘束者を認知するなど父親として被拘束者を養育監護しようとする真剣な気持を十分考慮しても、請求者が養育監護する場合に比し被拘束者の幸福の視点から、より優るとはとうていいい得ないと解するほかはない。

以上によれば、拘束者の被拘束者に対する現在の拘束は結局顕著な違法性があるものというを妨げない。

四なお人身保護規則第四条但書に関し本件につき考えるに、請求者は親権者としてその監護権に基づき拘束者に対し被拘束者を引き渡す旨の民事訴訟手続を請求し得るけれども、現下民事訴訟手続の状況のもとではしかるべき相当期間内に拘束からの救済の目的を達することは容易でなく、その救済の緊急性からみて右手続によつていてはその目的が達せられないことが明白であると解するを相当とする。

五以上のとおり、拘束者は被拘束者を違法に拘束していることが顕著であるから、請求者の本件請求は理由があるのでこれを認容して被拘束者を釈放し、被拘束者が未だ幼児であるところから同人を親権者たる請求者に引き渡すこととし、手続費用の負担につき、人身保護法第一七条、同規則第四六条、民事訴訟法第八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(村上悦雄 宮本増 長島孝太郎)

【別紙】 事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求者

主文同旨。

二、拘束者

請求者の請求を棄却し、被拘束者を拘束者に引渡す。

本件手続費用は請求者の負担とする。

三、被拘束者

主文同旨。

第二、当事者の主張

一、請求者(請求の理由)

(一) 請求者と拘束者は、昭和四五年七月ころ、請求者が営んでいたバーの客として拘束者が出入りするようになつたことから知り合い、後に肉体関係を持つようになり、翌四六年四月頃から請求者のアパートに拘束者が来て同棲するようになつた。そして昭和四七年一一月一四日、被拘束者が生まれたが、拘束者による認知は為されず、請求者と拘束者は内縁のままであつたため被拘束者も非嫡出子として母親である請求者の戸籍に入籍した。

(二) 拘束者は粗暴な性格で、度々請求者に暴力を振い、請求者は忍従の生活を強いられて来たが、自分も、もはや若くないことを考えて耐えてきた。ところが昭和四八年九月末頃、請求者の喫茶店開設の計画が資金難から挫折し、その借財の返済をめぐつてトラブルがあり、請求者の拘束者に対する不信感が決定的となり、内縁関係の解消を決意するに至つた。そして同月二五日、二六日の二日にわたり請求者・拘束者は他に請求者の実兄甲野次郎およびアパートの家主S夫妻なども含めた右喫茶店の資金問題を含め別れ話を協議したが結局合意は得られず、その間拘束者は同月二五日ににかわに被拘束者を認知する旨の届出をなした。その後拘束者はさらに復縁を迫り、一〇月七日Mを使つて請求者を脅したため、切羽詰まつた請求者は「一週間考えさせて欲しい」と頼んで猶予を得たが、一〇月一二日兄姉達に相談にのつてもらおうと考え兵庫県○市の実姉N子のもとに身を寄せた。同月一三日午後二時ごろ、拘束者は前記Mと共に、前記N方に現れ、いきなり二階にかけ上つて、高校生である実姉の娘が抱いていた被拘束者を奪つて逃走した。半狂乱になつた請求者は警察に連絡し、パトロールカーに同乗して姫路駅にかけつけ、新幹線ホームで拘束者に追いついて被拘束者を取り返そうともみ合つたが、子供の身体に傷をつけまいと思う為思い切つた行動にも出られず、共に説得に当つてくれた警察官も警察の出る幕ではないと拘束者に言われて、それ以上の行動もとれず、拘束者は「子供が欲しければ裁判にかけろ」と言い捨てて、被拘束者を連れ去つた。

(三) その夜拘束者は前記N方に電話をかけてきて、「子供が雨にぬれて肺炎にかかつている」旨告げ、翌一四日再び「病院に連れて行くから母子手帳を持つて来い」と電話して来た。医師に診せるのに母子手帳は不要であるので、これらは請求者を呼び寄せる為の口実とも思われたが、もしやという気持もあり、又、半月程前拘束者が被拘束者を三日間連れ去つた間に出来たおむつただれが未だ直つていないことなど思い合わせると拘束者のもとでは監護は充分行き届かないのは明らかであつて被拘束者の身を案じて請求者は心痛の極にある。

拘束者は、請求者にとつて被拘束者が「命」とも言うべきものであることを承知のうえで請求者を自分の意に従わせる手段に用いていることは明らかであり、未だ一一ケ月の乳児(被拘束者は母乳で育てられていた)を親権者である母親の手から無理矢理強奪するなどその手段において違法であり、かつその拘束は被拘束者の心身の福祉に反するので、一刻も早く原状に復せしめることが必要である。

そして被拘束者の今後の養育監護については請求者自らこれにあたるとともに請求者の姉(N子)および弟(甲野三郎)らが相協力援助し喜んでこれを受け入れる状況にある。

二、拘束者

(一) 請求の理由に対する認否

1 請求の理由(一)中認知の点を除きその余は認める。

2 同(二)、(三)中昭和四八年九月末ころ請求者の喫茶店開設の計画が挫折し、請求者・拘束者間にその借財の返済をめぐつてトラブルがあつたこと、そして同月二四日、二五日ころ右トラブルおよび請求者・拘束者間の別れ話について請求者の実兄甲野次郎を含めて協議されたこと、および拘束者が同年一〇月一三日被拘束者を請求者のもとから連れ戻し、現在その監護のもとにあることは認め、その余は争う。

(二) 拘束者の主張

1 認知について。被拘束者の認知は、かつて拘束者が外国人であるので帰化手続の上請求者および被拘束者の入籍をせんと帰化手続の申請をしたところ、以前拘束者には二回に亘るスピード違反(罰金刑)があつたため、法務局担当係官より一時見合せるべく意見があり取下げた経緯がある(なお拘束者には先に傷害致死の事件があつたが、これは正当防衛が過剰であるとの理由より、執行猶予となり、且すでに十数年前の事件で右帰化手続には影響はない)右の事情で認知が遅れていたが、昭和四八年九月二五日認知届出を以て戸籍に登載されているものであり右の認知も請求者と拘束者との話合により被拘束者は拘束者が監護することとなつた結果である(後記3参照)。

2 拘束者の暴力について。拘束者と請求者とが同棲を始めた後において、なお請求者には二、三の男性関係があり、請求者が外泊して来る等のことから、拘束者としてもその屈辱に堪えられず腕力におよんだものでありその性格が粗暴である故ではなく、一般に見られる原因に由来するものであつて恕すべき理由の存するものである。その後請求者の男性関係は拘束者の骨折もあつて解決し、被拘束者の出生以降暴力を振つたことは一度もない。

3 請求者の喫茶店開設とその経過について。拘束者は土木建築請負を営み、請求者はバーを経営していたが、被拘束者の出生後は請求者はバーは他人に任せて家事に従つていた。その後請求者は、名古屋市○区○町にて、請求者の知人Sより喫茶店を金二、〇〇〇万円にて買受けて経営したい旨申述べるに至つた。拘束者はかかる計画には反対であつたが、請求者のたつての希望に従うこととなり、買入代金二、〇〇〇万円については

(1) 内金三〇〇万円は拘束者が銀行より借入れ

(2) 内金二〇〇万円については請求者が金策し

(3) 残金一、五〇〇万円については拘束者が毎月二〇万円を支払うこととして右内金五〇〇万円は、売主Sに支払い、昭和四八年八月一九日、拘束者、請求者および被拘束者が右店舗に入り居住するに至つた。

そしてさらに右店舗を改造するためその改造代金四〇〇万円については、請求者の経営しているバーの権利を売却することとし、これが買受人との間に売買契約を結び、店舗改造に着手した。ところがその後バーの買受人が買受中止を申込んだため改造資金に窮し計画全体が遂行不能におち入つた。以上の経過でこの経営計画の破綻が夫婦生活の破綻を伴うこととなつた。

昭和四八年九月二四、五日頃、請求者の兄甲野次郎が仲に入り、店舗買入代金の内金五〇〇万円はSより返還を受けることとし、拘束者はその銀行から借り受けて出資した金三〇〇万円中金一二〇万円を免除して金一八〇万円の返還を受くることとし、店舗改造代金三二〇万円を工事屋に支払い、被拘束者は拘束者が監護することと話が決つた。以上の話は請求者も立ち会つて承認しているものであり、九月二八日には請求者は拘束者に対して被拘束者を連れて行くよう要求し、拘束者は単車であつたため一時待つてくれるよう申し入れたが聞き入れられず、やむなく被拘束者を連れて母方へ行つた次第である。ところが九月二九日請求者の姉が来名し請求者と拘束者の仲に入り両者を宥め、子供もある事情を説き、その結果、双方が言葉の行き違いを認め合い今一度、夫婦関係を温めるべく納得した。かくしてSより返される金五〇〇万円中金三二〇万円は工事料に支払い、残の金一八〇万円にてアパートを借りて、右買受の店舗を明渡す予定であつた。ところが、右金一八〇万円中金一五〇万円は、Sよりの借受金であると請求者が言うに至り、右は従前の話とは全く異なるところから、拘束者は不信の念を抱きこれを拘束者の妹婿に話して請求者にたださしめたところが、右妹婿は粗暴な性格であつたため、話をまとめることなく、全く決裂せしむるに至つた。

右の経過で請求者と拘束者とは前記の話合のとおり別れることとなり、昭和四八年一〇月一日双方がSに返還する店舗から荷物を引揚げるため右店舗に行つたところ、請求者が被拘束者に乳をのませたいので連れて来てほしいと言うので拘束者は被拘束者を連れて来て乳をのませた。

その後、建築工事をしたMが仲に入り、拘束者も、妹婿の言動の行き過ぎにつき詫び、請求者も考え直すこととし、請求者は一時被拘束者を連れてOへ帰るが一〇月一二日には再び被拘束者を連れて来ることを約した。ところが一〇月一二日に至り請求者の姉婿より拘束者に対して、被拘束者を連れて来ることを拒否する連絡があつたため、拘束者は、Mと同道して請求者方に向つたのであるがその途中、MよりSに対して金一五〇万円の借受金のあるとの請求者の申条は作りごとであることを聞かされ、拘束者は最早、請求者を信用することを得ず、約束通り被拘束者を連れて帰るに至つたものである。

4 以上の如く、請求者と拘束者との間においては被拘束者を拘束者が監護することについての話合は出来ており、拘束者が被拘束者を伴い来つたことはこの話合の筋に従つたものであり、請求者は昭和四八年一〇月一二日には被拘束者を拘束者に返すべく約定していたのにこれに違反したものであり、拘束者には違法はないものである。

5 請求者の監護能力および拘束者の監護状況について。請求者は前記3に見た如く、被拘束者に対する愛情をなんら示しておらず、ただ最後の別れに臨み母親としての未練を残したのみである。また請求者に被拘束者を監護せしめた場合、請求者はその性格および同人ならびに寄寓先となるであろう弟甲野三郎夫妻の経済的能力の程度からみて被拘束者を姉に預けるなどして外に働きに出るものと考えられるけれども、請求者の過去の生活状況からみてまともな職業につくとは考えられず、被拘束者を請求者の監護のもとにおくことは決して被拘束者の幸福のためになるものではない。しかるに他方拘束者は土木建築業者として十分な経済的能力を有し、その両親・妹夫妻と同居し、近くにはもう一組の姉夫妻も居住しており、同居の妹夫婦には一年数ケ月の子供もあり、養育監護の手に欠くことはない。また拘束者自身現在ほぼ一人で被拘束者の監護を十分にみており、工事現場の監督は電話による指示をもつて足ることも多く、その手に余ることはなく、被拘束者に対する愛情も十分である。以上被拘束者は請求者の監護のもとにあるよりも拘束者の監護のもとにある方がその幸福であることは明白である。

第三、証拠<略>

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